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第8話 子供がいるそうだな

Autor: 花柳響
last update Fecha de publicación: 2026-09-18 08:39:41
 七年前、実家の経営権が彼らの手へ渡った時も、私には何も決められなかった。今度は同じようにはしたくない。

「布を見るお手伝いも、お断りします。YUさんへの依頼は、仲介の方へお願いします」

 自分の名義を他人のように口にすると、舌の奥が強張った。玲司はファイルを閉じずに、私を見ている。

「君に頼んでいる」

「私は、あなたたちの会社のやり方に巻き込まれたくありません。それに、今の生活で十分です」

「十分?」

 玲司が低く笑った。

「昼はホテルの清掃。ほかの仕事も掛け持ちしているそうだな。それが君の望んだ『十分な生活』か」

 痛いところを突かれ、私の顔が熱くなる。

 図星だった。デザイナーとしての仕事だけでは、母娘二人の生活を安定させるには足りない。だからこそ、固定シフトで確実な収入が得られる清掃の仕事を辞められないのだ。

「あなたには関係ありません!」

 私は声を荒らげそうになるのを必死に堪え、きびすを返した。

 これ以上、彼と同じ空間にいては、自分が崩れてしまう。

 重厚な扉の取っ手に手をかけた瞬間。

「……才能だけだ」

 背後から、玲司の静かな声が響いた。
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     その夜、陽菜が眠ると、玲司はダイニングの椅子を引いた。テーブルへ置かれた書類は薄かった。表紙に印刷された御堂の名を見て、私は向かいに座る前に手を止めた。 「婚約解消への返答が来た。弁護士から、条件案が届いている」  兄さんが今日、玄関から出ていった姿がまだ目に残っていた。そのすぐ後で、別の家の名前がここへ入ってくる。私は椅子を引き、膝の上で手を重ねた。 「……通知を出しただけでは、終わらないんですね」 「提携の整理と、公表文の確認は残る。だが、結婚するという返事をするつもりはない」  玲司は私にも見えるよう、書類の向きを変えた。並ぶ項目のうち、一つだけ長かった。両家に関係する過去の調査を中止し、これまでに得た資料を対外的に使用しないこと。  私は読み終えたところへ指を置いた。 「これ……陽菜の検査のことも、入るんですか」 「そこまで含められる文面だ」 「あの紙を作った人が誰か、分からないままにするの?」  思ったより鋭い声が出た。寝室の方を見てから、私は声を落とした。陽菜は今夜も、使いかけの色鉛筆を一本ずつ箱へ戻していた。その娘の知らないところで、検体の代わりに、今度は書類一枚が暮らしの行く先を決めようとしている。 「その条件は飲まない」  玲司の返事は短かった。すぐに信じて安心してしまうのが怖くて、私は紙から目を上げられなかった。 「通知は出した、だから待てと言われるだけでは困ります。進まない理由があるなら、私にも話してください」 「……分かった」  玲司は私の返事を待ってから手を引いた。書類に並ぶ条件の一つひとつを、今度は私にも見せてくれている。それでも、すべてが決まってから知らされた七年前のことは、簡単には消えなかった。  玲司は調査中止の項目に線を引いた。万年筆の先が紙を擦る音が、静かな部屋でやけにはっきり聞こえた。 「公表の時は、陽菜の名前を出すんですか」 「出さない。君の名も、必要なら伏せる」  私は首を振った。 「私は、どう見られるかをあなたと話せます。でも、陽菜は学校へ行くんです。記事を消した後も、あの子はあの校門を通っているの」  玲司の指が止まった。書類を引き寄せる代わりに、彼は私の方へ身体を向けた。 「そこは、君と確認する」 「学校へ説明する時も、同じことを話せるようにしてください。私だけが、何が

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  • あなたの子を産みました。七年経った今さら、優しくしないでください   第96話 兄の問い

    「……直哉」  玲司が静かに、だが重く名前を呼んだ。  直哉はその声を聞いていないかのように、ただゆっくりと陽菜の前へ歩み寄った。  巨体が近づいてくる威圧感に、陽菜は少しだけ身を引いたが、逃げ出しはしなかった。箱をぎゅっと抱きしめ、首を傾げて直哉を見上げている。 「……名前、なんていうんだ」  直哉の声が、さっきまでの荒々しさを失い、擦り切れたように低くなっていた。 「朝倉ひな。七歳」  陽菜がハキハキと答える。 「ひな……」  直哉は膝を折り、陽菜と同じ目線まで頭を下げた。  至近距離でその顔を見つめる。陽菜の瞳に映る自分の顔を確かめるように、じっと凝視していた。  そして、直哉の指が、行き場を失ったようにゆっくり握られていった。 「結」  直哉は陽菜から目を逸らさないまま、後ろに立つ私へ問いかけた。 「この子……七歳か」 「……ええ」 「七年前の……あの秋の後の、子か」  私は何も答えなかった。ただ、胸の前で両手を固く握りしめた。その沈黙が、何よりの肯定だった。  兄さんの顔からさっと色が失われていくのを見て、私は胸の前で組んだ手に力を込めた。いつかは知られると分かっていた。けれど、陽菜の顔を見ただけで七年前へ辿り着くほど、兄さんは玲司をよく知っていたのだ。その事実が、今さら「兄の親友」という関係の重さを突きつけてきた。  直哉はゆっくりと立ち上がった。  彼の顔から、感情が失われていく。怒りでも、悲しみでもない、ただ巨大な衝撃に脳を殴られたような無の表情。  直哉は振り向き、静かにたたずむ玲司を見た。 「……おい」 「ああ」 「待て……嘘だろ」  直哉の言葉が、途切れ途切れにこぼれる。 「陽菜の瞳の色……お前と同じだ。髪の質も、耳の形も……」  直哉は自分の額を押さえ、ハッと短く息を吐いた。 「待てよ。七年前……お前、うちの会社を買い叩いて、婚約発表して、海外へ行っただろ? その前に、結と何があったんだよ」  直哉の声が、徐々に熱を帯びていく。 「なのに……なんで結のお腹に、お前の子供がいたんだよ」 「……」 「答えろよ! 高遠!」  直哉の叫びが、広大なリビングに響き渡った。  玲司は逃げなかった。直哉から目を逸らさず、逃げ場のない事実を、ただ短い言葉で口にした。 「……俺の子供だ」

  • あなたの子を産みました。七年経った今さら、優しくしないでください   第95話 お前が父親か

     絞り出した声は、自分でも驚くほど小さかった。  直哉の顎がピクリと跳ねた。彼は妹の言葉に答える代わりに、視線をゆっくりと玲司へ向けた。 「高遠。……やっぱり、ここに囲い込んでたのか」 「囲い込んではいない。安全のために、俺の管理下の部屋へ来てもらっただけだ」  玲司は静かに答えた。背筋だけが、普段より硬く伸びていた。 「安全? どの口が言ってんだ」  直哉が鼻で小さく笑った。その響きには、冷え切った蔑みが混じっている。 「お前らのくだらないゴシップに巻き込まれて、結とガキの写真がネットに流れてんだぞ。これが安全か?」  直哉は土足のまま踏み込みそうな勢いで、靴を乱暴に脱ぎ捨てると、大理石の廊下を歩いてリビングへ入ってきた。  広大な部屋を見回し、黒を基調とした高級家具や壁一面のガラス窓を一瞥すると、ますます不機嫌そうに眉根を寄せる。 「あいかわらず良い暮らしだな。俺たちが破産寸前で駆けずり回ってる間も、お前はこんな高層ビルから見下ろしてたわけだ」 「兄さん、やめて」  私が思わず前に出ると、直哉は鋭い眼差しで私を射抜いた。 「やめろ? 七年間も黙って消えてたお前が、何言いに来たんだ? 父さんがどれだけ心配して……いや、どれだけお前を探したと思ってんだ」 「……ごめんなさい」 「謝って済むかよ。電話一本よこさねえで、いきなり有名人の隠し子騒動でニュースに出てくるとか、冗談じゃねえぞ」  直哉の怒りは、玲司だけでなく私にも等しく向けられていた。当然だった。彼にとってはこの七年間、倒れかけた家業を守り、父の看病をし、残された債務を処理し続けてきた苦闘の年月だったのだから。 「私も苦しかった」と言えば、少しは言い返せたのかもしれない。でも、それで兄さんの七年が軽くなるわけではない。陽菜を守るために消えたという自分なりの理由と、残された家族を傷つけたという事実は、同時に存在している。その二つを、もう片方の言い訳にしたくなかった。  私が言い返せずに俯いた時だった。  リビングの奥、主寝室へ続く廊下の角から、小さな足音が聞こえた。 「ママー、折り紙のハサミどこー?」  箱を両手に抱えた陽菜が、ひょっこりと顔を出した。  寝癖で右側の髪がピョンと跳ねたままの小さな少女。  その声に、直哉の言葉が途切れた。  直哉の視線が、廊下の端

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